番組ねつ造:関西テレビ番組、当初から「ねつ造体質」

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070128k0000m040116000c.html

効果を実証できなかった実験結果に、別の研究者のコメントをかぶせて編集していたことが新たに分かり、同番組がスタート当初から「ねつ造体質」だった可能性が強まった。

…って、今更何言ってるんだこの人たちはw

「あるある」が眉唾のトンデモ番組だなんてことは、プロ/アマ問わずデバンキングやってる人の界隈じゃ当たり前の話だったのに、報道機関として科学関係のニュースも報道してきた連中が今になって騒ぐのは果たして何故だ?

  1. 彼らに科学的虚偽を見抜くだけの素養が無かった
  2. 知っていながら放置したまま糾弾せずにいた
  3. そもそもそういう問題に無関心だった

どれをとっても報道機関にはあるまじき態度だな。

  1. 科学関係の報道を行う以上はそれを読者/視聴者に伝えられる程度には理解する素養が必要
  2. 虚偽を事実のように放送する番組は、その社会的影響を問う報道がされるべきだった(もちろん自分たちでその真偽を見抜いた上で)
  3. そもそもの存在意義として、無関心なジャーナリズムなどあってはならない。

こういうマスコミしかいない国なのに、何でマスコミの報道を鵜呑みにできる人がこんなに多いのか、いつも不思議でたまらない。


まぁ、こんなことを言っても、日本の報道機関の不甲斐なさを再確認することにしかならんわけだが。んで、番組の製作体制は、と。

番組スタッフから「サラダレタスを食べると眠くなる、という実験をしてほしい」と依頼を受けた長村教授は、「面白そうなテーマ」と感じ、研究者らしい好奇心から引き受けた。

つまり、番組制作の流れの上で最初に結論が用意されていて、事実に関してはさほど重要じゃないという作り方をしているわけだな。


研究者の側に重要な態度は二つ。

  1. 頭から否定せず、まずは確認してみる。
  2. 観測的事実などから、結果的に「そんなことはなかった」という結論が出たら、素直にそれを受け入れる。

その意味で、長村教授の態度は研究者として実に正しく、さすがだと言うより他は無い。
しかし、番組製作側は「そうであってもらわないと困る」という事実そっちのけの非科学的な態度なわけだから、そんな番組が科学的な内容になるわけがない。


資本主義の世の中だから、番組制作に金や時間がかかるのはわかる。しかし、科学的事実というものは如何なる人間社会の都合をも超えたところにあり、どんな都合や主義主張もそれを曲げることはできない。
ローマ教会がなんと言おうと地球は太陽の周囲を公転していたわけだし、T.D.ルイセンコが旧ソビエト国内で何と言おうと、生物は遺伝子を用いて遺伝情報を継承し、遺伝情報には成育過程で獲得した形質は乗らないのだ。番組制作に金と時間がかかっているなどという理由は、科学的事実の前には糞の役にも立たない屁理屈だ。


一番の問題は、マスコミの情報を受け取る視聴者の側が、メディアによってもたらされる情報の品質を判断できる素養に著しく欠けていること。「お客」たる視聴者が低いレベルで満足してしまっているから、報道側も「これでいいんだ」とか思ってしまうわけだ。視聴者の側がもっと利口になって、至らん各種メディアをあれやこれやと虐めることができるようにならんと駄目だな。そのためには視聴者の側にも、それを判断できるだけの科学的思考の素養が要求される。


科学か非科学かは「科学っぽい言葉を使っているかどうか」で決まるものではない。

  • さまざまな観測事実と矛盾しない説明ができるかどうか
  • それを立証する根拠があるか
  • 根拠とされる事実は他者による追試が可能か
  • その説明は理論構造上反証が可能になっていて、その上で反証が得られないものになっているか

…のような、さまざまな条件をクリアしているかどうかで決まるものだ。そういう「科学性に対する感覚」が乏しいと、「あるある」のような話に簡単に騙されてしまう。


仕事柄「ゲームの悪影響」を糾弾する論調の情報には嫌が応にもさらされるわけだが、ゲーム市場よりパイの大きな「マスコミの悪影響」を糾弾する論調の情報は、メジャーな場所ではまず目にしない。まぁその「メジャーな場所」というのを提供しているのがマスコミだからな。「粗悪な情報番組や報道」のもたらす悪影響のほうが「暴力的なゲーム」などよりもずっと問題だ。