移転準備中
現在住んでいるアパートを取り壊してしまうそうで、現在立ち退きのために移転準備中。
3月の地震があった数日後に連絡が来ていたそうだけども、何の手違いか自分はそれを知らず、実際それを知ったのは6月頃。立ち退き予定は9月半ばという予定だったのだけれども、6月あたりからは個人事業主としての開業手続きやら、その後いただいた仕事の話やら、自宅のことにかかることもできず、また2000年12月23日から約11年間住み続けた部屋のこと。そう簡単に片付く筈もない。已む無く不動産屋に連絡をいれて9月末まで待ってもらうことに。
20世紀最後の一週間から、21世紀最初の10年に渡って一箇所に住み続けていると、自宅内の所蔵品はまるで21世紀初頭の特定界隈について歴史資料の詰まった書庫だ。あるいは膨大な化石を秘めた太古の地層だ。全く整理されていないのがアレだが、自身の10年にわたる活動範囲や分野の変遷に思いを馳せてしまう。
最近は密度が薄れているが、2004年以降は現在埋もれているmixiの日記やこのblogに比較的詳細な記録が残っているので、出てきたものが何時この部屋に持ち込まれたのか、日付のレベルでわかることもあったりして、日記的なものは書いておくものだな、と思った。
この10年、様々なことがあった。
2000年。偉大な監督の率いるチームでメジャータイトルのプログラマとして参加した。それは今でも自分の誇りの一つだ。
2002年。SFをひたすら読み込み、宇宙に興味を持ち、軌道力学やロケット推進に興味を持った。科学や数学分野についての理解の深まりは、その後プログラマとしての自分の地力を引き上げ、発想の仕方を大きく改善させてくれた。
2003〜2004年。紹介してもらった店で多くの仲間と出合った。現在「秋葉原酔狂楽団(仮)」としての活動を支えてくれている仲間の大半は、当時出合った人たちだ。
2004年。SNSやblogをはじめた。兄の招待でSF談義をするためにmixiに入ったのが2004年7月、このblogの前身となる「人生戦闘詳報」を開設したのは2004年10月。
2005年〜2007年。オンラインゲームに触れ、遊び、作った。担当しまた遊んだゲームでも、新たな仲間を得た。そのうち幾人かは未だに交流が続いている。
2006年。ある漫画を理解したくて麻雀を覚えた。遊びの幅が広まった。確率・統計的な考え方を瞬時に行う訓練になった。
2007年。VOCALOIDを知り音楽を作り始めた。それまで漫然と聴いていた音楽の聴き方が変わった。音楽を音楽足らしめる「音の構造」を知り、それを意識して聴くようになった。
2008年。ギターを始めた。生で楽器を弾くなど、小学生の時にエレクトーンを辞めてから約25年ぶりだった。その後3年のうちに、ギターは自分のアイデンティティの一つとなる。
2009年。友人を失った。2004年頃に出合った仲間の一人だった。
VOCALOIDを使った最初のCDを出した。音源制作という意味では成功とは言い難い出来であったが、工程上学んだことは多い。
同年春に放映された「けいおん!」の影響でベースを買ったという友人をそそのかし、便乗する仲間をかき集め、リハーサルスタジオでバンドの真似事的なことを始めた。この集団は後に「秋葉原酔狂楽団(仮)」を名乗ることになる。
2010年。twitterを利用し始める。この年の夏に公開した楽曲の縁か、VOCALOOIDによる音楽活動方面での交流が増え始めた。
夏に「秋葉原酔狂楽団(仮)」としての合宿を行った。だいぶバンドとしての形になり始めた。
年末、10年勤めたあの会社を辞めた。
そして2011年。実家のある仙台を含む東日本東北地方を襲った巨大な震災があった。先日でようやく半年、被災地ではまだその傷は癒えていない。
個人事業主として開業した。会社勤めではなく、自己の裁量でどこまでやれるものやら、まだ自分でも見えていない。
「秋葉原酔狂楽団(仮)」が最初のライブを行った。味をしめたメンバー一同は次のライブについても画策している。
VOCALOID方面での交流が元で、大規模なコンピレーションアルバムに参加できた。総勢30名で作った奇跡のコンピレーション。
…と、書き出してみると、さすが10年分だけあって結構長い。
そんな10年を過ごした部屋を、これから出てゆく。
そんな10年を過ごした部屋が、俺が出た後に壊され、無くなってゆく。
2000年代最初の10年を過ごした部屋よ、ありがとう。一生忘れない。