グローリー・デイズ

もう10年以上の昔から、たまに思い出しては聞いている中西圭三の曲。1993年発売のアルバム「Steps」*1から。

某予備校のCMソングとしても使われたものだが、聞き始めの頃から今に至るまで、その中の一節が非常に気に入っている。

何かになる 誰かになる それを夢と信じてた
君だけがただ「自分になりたい」と
呟いた声 ふいに思い出した

世間には抽象的な枠組が色々あるようだが、自分をその中の何かに規定しながら生きるなんてのはバカバカしいにも程がある。俺が思うにそういう分類は他人にまかせておけば良いことであり、自分で規定するものじゃない。それが必要なら「自分」という言葉があれば事足りる。


自分が好きだと思うものを愛し、自分が本当に良いと思ったことをし、自分に恥じない生き方をする。

その過程で出会う他者に対しては、相手を自分同様の対等な独立した存在と認め、敬意をもって接する。


どちらも至極当り前のことだが、本当のところの「大人」と呼べるのはそういう存在だと思ってるし、この歌詞の「自分になりたい」は、若者が「本当の大人になりたい」と願う気持を描いたものだと勝手に解釈している。というか、自分の感覚に合う解釈をするとそうなる。


誰かが何かにつけ自分で「自分は〜だから」とかいう理由付けをしているのを見ると「こいつはまだまだ修行が足りんのではないか」と思っちまうんだな、これが。


*1:最初に聞いたのはマイミクのシンイチ氏から借りてだったと記憶している