女人禁制の大峰山で女性ら3人が登山強行

Aster.氏の日記で知ったニュース。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200511040017.html

Aster.氏の主張は異なるようだが、私としては何百年続いていようが何千年続いていようが、非合理的/非科学的な理由による理不尽な取り決めは、いかに「伝統」という言葉で飾ろうと所詮「迷信」にすぎず、そういうものの支配から人間は解放されるべきだと考えている*1ので、ゆくゆくはこの山も性別に関係なく出入りできるようになり、宗教的な理由から女性が出入りできなかった過去を昔話として語り継いでいけるようになればとも思う。まぁ、難しい理屈を抜きにして、感覚的な言い方をすれば、

たまたま女の子に生まれついたというだけの理由で、
その山の景色を楽しむことが許されないなんて絶対に変だよなぁ

となるだろうか。仮に入山の可否についての取り決めが、

あまりにも山が険しいため、適切な訓練を受けた人、
もしくは相応の登山経験のある人以外は危険なので入山できない

とかならば合理的理由で納得できるが、それは性別と関係ない。


ただ、この登山を強行した三人の行動は許容しがたい。周辺住民との対話が終わらないうちに行動に出たという、その「筋を通さない行動」が納得できない。


俺としては誰がどんな主義主張を振りかざそうがかまわないが、先にそこにいる人に対して、後から来た者が己の主義を主張するのであればそれなりの筋を通すのは当然のことだと考える。ちゃんと根気強く地元住民との対話を行うべきではなかったか。


1300年の間守り続けられていた伝統でも、本質的には「血液型性格分類」とか「占星術」と同レベルの理由しかないわけだが、その1300年という時間とそこに生きて伝統を守ってきた人達に対しては敬意が払われるべきであり、それでもなお1300年という時間に関係なくその伝統は理由からしておかしく、もはや過去のものとすべきだということは指摘されるべきであって、地元住民との対話を重ね、理解を得た上で行われるべきだったと私は考える。

*1:非科学的な伝統の美しさを否定しているわけではない。宗教文化の持つ美しさは私も認める。ただ、それらを含めたあらゆる美というものは人に奉仕すべきものであって、人を支配するものであってはならない。