Good Night, and Good Luck.

誰かと一緒ではなく、一人で観るべき映画があると思う。
一人で観て映画のメッセージを受け取り、そしてそれについて自問自答し、以後自分がどうあるべきかの糧にする──そんな映画は確実に存在する。

今日観てきた映画 "グッドナイト&グッドラック"(Good Night, and Good Luck)もそんな映画の中の一つだと思う。


舞台は1950年代、マッカーシー上院議員による扇動で始まった「赤狩り」旋風の吹き荒れるアメリカ合衆国過半数の支持を集めるマッカーシズムに対し、言論の自由は何処吹く風。とばっちりを恐れた放送局も見て見ぬふりを決め込むご時世。


「自由の国」を標榜するあの国にもそんな時代があった。この映画の主人公は、世論や局の圧力にも負けずに毅然としてマッカーシー上院議員を批判し、赤狩りに異を唱えた報道キャスター エドワード・マロー。
当時実際に流れたマッカーシー議員の映像を用いつつ、ドキュメンタリータッチで報道と言論の自由を貫いた男を描いたノンフィクション映画だ。
詳しい内容や経緯については、エドワード・マローについて調べるなり映画を観るなりして確かめて欲しい。暴走する権力と対峙し、己の職を賭してまで戦うマローの姿から、観るものそれぞれの教訓を得るのではないか。


【参考】エドワード・R・マロー - Wikipedia


童話「はだかの王様」でも語られるように、王様が裸であることを指摘するには勇気がいる。相手が自分より大きな力を持っていると思われる場合はなおさらだ。でもそれを誰も指摘しなければ誤ちは正されない。


そんなわけで、今後の自分の仕事の指標にもなる映画だなと感じた。
でかい相手にも必要なときには喧嘩を辞さない、そんな勇気をもらった気がする。
ちょうど喧嘩すべき理由と、喧嘩すべき相手もあることだしな。

もしテレビが娯楽と逃避のためだけの道具なら、もともと何の価値もない
テレビは人間を教育し、啓発し、情熱を与える可能性を秘めている
だが、それはあくまでも使い手の自覚次第だ
そうでなければ、テレビはメカの詰まった "ただの箱" だ

…まぁ、嫌煙者の俺としては、登場人物がことあるごとにプカプカと煙草を吸う映像は観ていてちょっとつらかったが、1950年代だし時代考証的にはそうあって当然。むしろ煙草吸ってないほうがリアリティは無いだろうな。

煙草はかっこいいとは思わんけど、マローという人間はかっこいい。


ではみなさん、"Good Night, and Good Luck"