奇蹟は信じないが、宗教家の説く道徳に感心することはある。

多くの方は知っての通り、合理主義者で無神論者の私は、いわゆる「神の奇蹟」などというものをいささかたりとも信じていない。しかし、宗教家が説く道徳に感心することはある。
説得力を持ちうるかどうかは別として、正しいことは誰の口から出ても正しい。


そんなわけで、今回はイスラムの聖者マホメットのネタ。
…おっと、今はムハンマドと書くのが主流なのか。

ムハンマドはあるとき、山を動かしてみせると公言した。
その奇蹟を見んとして集まった群衆の前で、彼は山に対し「こっちへ来い」と呼びかけた。
だが山はぴくりとも動く気配がない。三回ほど呼びかけてみても、山は動くことはなかった。

ムハンマドは、見物に集まった群衆に向かって、
「見ての通り山は動かぬ。ならば私のほうから歩いていくとしよう」
と言い、山に向かって歩いていった。

…まぁ、有名な話だが、本当にムハンマドがこんなことをやったかどうかについては知らん。実話であったとしてもおかしいところは何も無いけどな。山に呼びかけても動くわきゃないし、胡散臭い奇蹟とやらが起こったわけでもない。

んで、この話を考えた奴(あるいは実話であったならムハンマド)は偉いと思う。


周囲が動かなくて腹を立てるぐらいなら、自分が動けば済む話だ。
世界を変えるよりも、自分がその世界で生き抜けるように変わることだ。

自分と世界は相対的なものであるから、世界を変える最も手軽で合理的な方法は、自分が変わることだ。山が寄ってこなくても自分で歩いていけば、山と自分の距離を縮めることができるように。
自らの立つ位置が変われば景色が変わるように、自分が変われば世界の見え方も変わっていく。自分を変えることによって、同じはずの世界の見え方が自分の理想と合致するかもしれない。


…余談になるが、中東あたりでイスラム原理主義を唱えて武力によるアピールを続け、国際社会に対し自らの宗教への「特別な配慮」を要求しているような勢力は、イスラムの開祖ムハンマドにまつわるこの話をどう捉えているのだろう? 国際社会という「山」に歩みよれば済む話だとは気づかないんだろうか?