R.ドーキンスの本にも出ていたが、イギリスの心理学者によるブタを使った有名な実験がある。
- 一つの檻に、強いブタと弱いブタを一匹ずつ入れる。
- 檻の一端には餌が出てくる口がある。
- 餌が出る口の反対側にブタが押せるように設計されたボタンがついている。
- ボタンを押すことによって、餌の口から餌が出てくる。
さて、どうなるだろう?
弱いブタは強いブタに逆らえずに命ぜられるまませっせとボタンを押し、強いブタは悠々と餌を食べられるだろうか?
そうはならない。
この二者は必然的な流れによって均衡に近い関係を築くのだ。
まず、強いブタが弱いブタを搾取しようとすれば、弱いブタは「どうせ自分は餌にありつけないのだから」とボタンを押すのをやめてしまう。そうすると餌は出なくなり、強いブタも餌を得ることができなくなる。
そうなると強いブタは自分でボタンを押したほうが早いわけだが、強いブタがボタンを押して餌の口に戻ってくるまでの間、弱いブタは出てきた餌にありつくことができる。強いブタはそうして自分では何もせずに餌が出てくるのを待っているだけの弱いブタが餌を食べているところを実力をもって押しのけ、残った餌を平らげるのだ。
この状態では強いブタも弱いブタも、得られる餌の量が0ではなくなるため、弱いブタを搾取してストライキを起こされるよりはまだマシであるから、その状態で均衡してしまうわけだ。
とりあえず実験はここまでである。ここからは私の思考実験。
上記の実験は
- 檻という完全に閉じた世界の中で外部からの脅威が無い
- 互いが相手を完全排除できない
という前提に成り立っている。
相手を完全排除できるならば、いずれのブタも相手がいなければ餌を独占できる。ただし、弱いブタは今までより「ボタンを押す」という手間が増える。強いブタにとっては「自分の餌」を勝手に食う弱いブタがいなければより快適だろう。
外部からの脅威がある場合、弱いブタは強いブタの力を必要とするだろう。しかし強いブタにとっては弱いブタは必要ないかもしれない。
こうなると弱いブタは何かにつけて強いブタに依存しているが、強いブタは弱いブタに依存しているわけではなく、共存してやる理由はまず無い*1。諸々を考慮した結果、強いブタにとっては弱いブタを完全排除してしまうのが自己にとっての最適解ということになる。
その際に弱いブタが生き残る道は、強いブタに対して自己の価値を見出させるか、強いブタから安易に排除されない程度の強さを得るしかない。
後者は実は前者と同じで、ある程度実力の拮抗したパートナーの存在は、外部からの脅威に対抗する際に強いブタが支払わねばならないコストを軽減してくれる。それ自体が強いブタに対して提示できる価値になる。
そしてその結果、外部の脅威は脅威で無くなり、相互が相手を完全排除するのも困難になるから、初期の「閉じた檻」の均衡に戻るわけだ。「弱いブタ」が「弱かったブタ」になり、立場が逆転したとしても、一方的に相手を完全排除できるほどの力の差が生じない限りは、立場を変えて同じように(相対的に弱い側が強い側に寄生する形で)均衡するだろう。
んで、人間の現実も同じだったりする。
ある社会単位には常に外部の脅威が存在し、また何らかの方法で構成員の排除が可能な場合がある。そういう場所で生きていたいと思えば、いつ排除されてもおかしくないのに弱きに留まるのは自殺行為だ。
*1:むしろ、ここでいう「強い」「弱い」は、どれだけ相手に依存しているかによって決まるというべきだろう。相手への依存度が高い者をここでは「弱い」と呼んでいると考えたほうがすっきりする。