そして過ぎ去った日々の証として。

なにやら思いついたアイデアが実現可能かどうか実験的なプログラムを組んだり、ぱにゃのSeason3で遊びながら、日頃の癖で見つけたバグの再現方法を探ってしまったりしているうちに今日のこんな時刻になってしまったが。


昨日をもってまた私は歳を重ねた。


まぁ、この年齢になるとあまりめでたい気がするものでもないのだが、それでもありがたいことに今年も各所からお祝いの言葉を戴いた。


年齢という数字は生きてきた時間の量を代表するパラメータではある。重要なのはその量ではなく密度だと思ったりするんだが、物質の密度を求めるために体積というパラメータが必要なのと同様、「人生の体積」として年齢というパラメータは有用なものだな、と。

このところはそれなりの密度ある生き方をしていると考えている自分がいる、というのは、実はとても幸せなことではあるまいか。