あー、なんとなくわかってきた。

あ、いや。

先日買った「初音ミク」からの連鎖で、DTM関連の情報を色々漁り始めたりしたわけだが、それでなんとなくわかったのは「プログラムが書けない人の気持ち」だったりする。これだけ書くと話が飛躍しすぎて何のことだかわからんと思うが、プログラムと音楽との間に、ある種の類似性を見出したりしたわけだ。


既存音源を「利用する」、たとえば音楽を聴いたりカラオケで歌うなどというのは作曲のスキルが無くとも出来ることであり、これはプログラムが書けなくとも既存のソフトウェアを利用することが出来ることに似ている。音楽やプログラムについて専門的な訓練を積んでいない子供でも聴いたことのある歌を口ずさむし、ゲーム機で遊ぶ。

ところがいざ、その音源やソフトウェアを作るとなると特別なスキルが必要となり、それが「出来る人」と「出来ない人」が明確に分かれる。そして「出来る人」の間で意思疎通を省力化するための「概念のパッケージ」として専門用語が多用されるが、それ自体「出来ない人」が「出来る人」になるまでの障害の一つとなっている点も同じだ。


さらに「出来る人」の側で「出来ない人」が「出来る人」になるまでに必要な体系的説明をわかりやすく出来る人というのは少なく、基本的にそれが「出来る人」にとっては、いつのまにかそれが出来るようになっているので、「出来ない人がなぜ出来ないのか」がわからないことが多い。

…と、まずとっかかりに関する類似点はこんなところだろうか。


少なくとも現時点において、私はプログラムは「出来る人」に分類されるとしても、音楽に関して言えば「出来ない人」の側なので、この「出来ない人」の側の気分というのは貴重な体験のような気がする。

これまで調べた限りにおいては、音楽にも文法のようなものがあるようなので、新しいプログラム言語を学ぶような感覚でそれを学んでいければ、「音楽という言語によるプログラム」が組めるようになるんではないか、と考えていたりするわけだが。音楽もプログラムも、時系列に伴う流れを持った状態の変化を取り扱う分野であるから、その点も似ているような印象を抱いた。


…とまぁ、現時点で思っているのはこんなとこ。
私の友人知人にも音楽の世界に生きている人は少なくないので、こうした点についてちょっと訊いてみたい気もする。


あー…そういえば麻雀を憶え始めたときもこんな感じだったな。
まぁあれはゲームだから、まず「遊べるようになる」までのプロセスはシンプルで、ルールを理解するだけでよくて、取っ掛かりをクリアするまでの時間は短くて済んだわけだけど。