もっと単純でも良いかもしれない。

昔から技巧的なものが好きだった。


シンプルなものを評価するときも、多くの場合「考え抜かれた末にたどり着いた結果としてのシンプル」を評価していた。そこに至る思考過程そのものが技巧に他ならないからだ。


そんな訳なので、自分が考える場合もそうなる。
専門分野がプログラムだけに、必然性のない実装を避け、求める機能を明確にし、可能な限りシンプルかつ効率的な方法で実装することこそプログラムの美学ともいうべきものであり、技巧であると考えていて、他の物事に取り組む場合も知らず知らずのうちにその考え方が適用されているようだ。


しかしながら、最近はその「定番パターン」が、新しいことに取り組む際にフレーム問題を引き起こすことが出てきた。
慣れたことであれば過去のラーニングケースから体感的に概ね「正解」を導き出せるが、まだ類似するケースで「正解」を出したことがない問題では、最初の一手を理論から導き出すのは非効率である場合がある。「目に入る物を無視すべきか否かの判断処理自体が負荷になる」場合など。


まぁ、畑違いの分野に挑む場合はある程度の基礎に関する下調べは必要としても、それ程深く考える必要は無いのかもしれない、などと思い始めた。

出発点というのはいくらでもリトライが利くポイントでもあることだし。