胡散臭い「未成年者保護」の風潮は、もううんざりだ!

ある者に魚を与えれば、その者は一日身を養うことが出来る。
漁のやり方を教えれば、その者は一生身を養うことが出来る。

上のような諺がある。
ユダヤ起源説や中国起源説があり*1、出典は実のところ不明であるが、そんなことは今はどうでもいい。重要なのはこの言葉の意味するところだ。


生きるために必要な「物」を与えるだけでは、その場をしのぐことは出来てもそれで終わりだ。

生きるための知恵を身に付けさせれば相手は一生自力で生きることが出来る。


これをこんな風に言い換えてみる。

親が子供を守ってやれば、子供の間だけは守ってやることが出来る。
親が子供に身を守る方法を教えれば、子供は大人になってからも自力で身を守ることが出来る。

正直、「子供を保護するために云々」という論調で社会コストを増大させたがる動きには、もううんざりだ。


親はちゃんと、「敵」と見なすべき人間が世の中には常に一定の割合で存在していることや、そいつらが弄する甘言を見抜き身を守る方法を子供に教えるべきであって、「敵のない社会」を作るために余計な社会コストを増やすことで、自ら「社会の敵」になるのは間違っている。

「子供を持って親になればわかるよ」

というのも胡散臭い。
親になったら、真っ先に
「世の中を渡っていける、強い人間に育ってほしい」
と思うんじゃないのか?
俺は親にはなってないからあくまで想像に過ぎないが、俺が親になったらそうしたい、というレベルでならそう思うわけで。


児ポ法とかモバゲータウンでもそうだったが、身を守り生きていく方法を子供に教えられないくせに親になったバカに振り回されるのはもうやめにしないか。

*1:ただし、「老子」起源説は誤りである模様