2003UB313

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050730-00000036-mai-soci

うーむ、また何かマスコミの先走りのような気がせんでもない。

天体の大きさそのものは「惑星」であることの根拠にはならない。いわゆる「惑星規模」の大きさをもつ天体には、QuaoarやIxionなどのカイパーベルト天体や、2003年に"Sedna"と名付けられた太陽系深宇宙天体2003VB12などがあるが、いずれも「惑星」とは見なされていない。


というより、実のところ「惑星」という言葉の明確な定義というものはない。恒星の重力を中心力として公転する天体としては、いわゆるところの小惑星も現在の9つの惑星も本質的に変わらんわけで。



そもそも「惑星」とは何か。

古代より知られる惑星は水星、金星、火星、木星土星の五つ。「惑星」の名は、これらの天体が

天球の動きに従わない「惑う星」

であることに由来する。つまり、プトレマイオス的宇宙観の時代の名残であるわけだ。


ではこの定義を今当てはめるとどうなるか?
地球が「惑星」ではなくなってしまう(笑) だって「天で惑う星」ではなくて、これは「大地」と見なされるから。つまり、この定義は今の時代の惑星の概念とは明らかに乖離している。


地動説が受け入れられるようになると、我々の立つ大地がこれらの天体と同じようなものの一つであることが理解され、地球も「惑星」として数えられるようになる。天王星海王星といった同類の天体が発見されると、それらも「惑星」の列に加えられた。この段階における惑星の定義は、

太陽の重力に捕まってその周囲を公転する天体

ということになるだろうか。


しかしながら、太陽のまわりをその重力に捕まって周回しているのは、「惑星」達だけではないことが分かってしまい、なおかつそれらが無数に存在するとなると、そいつらまで「惑星」と呼ぶわけにはいかなくなり、「小惑星」と呼ばれたりしている。

小惑星も惑星も、本質的に全く同じ理屈で太陽の周囲を公転しているわけで、この時点で上記の定義に該当するものを「惑星」としてしまうと、我々が「惑星」として思い描く概念と乖離してしまう。


で、ここで「惑星」という言葉を仮にこんなふうに定義したとしよう。

惑星とは、水星、金星、地球、火星、木星土星天王星海王星冥王星といった9つの天体を指す

完全に天体を限定するような定義である(笑)
こうすると、Sedna(2003VB12)も、今回の 2003UB313 も、もはや惑星の列に加わることはなくなる。


しかしこの定義を受け入れてしまうと、また別の問題が出て来る。

系外惑星」という言葉をご存知だろうか? つまるところ我々の太陽以外の恒星を主として公転している天体のことである。これまでに木星型のものや、地球と同様の硅酸塩(いわゆる「石」や「砂」)を主成分とする「系外惑星」が発見されている。前出の仮定義だと、これらを「系外『惑星』」と呼ぶわけにはいかなくなってくる(笑)


…まぁ、そんなわけで、「惑星」という言葉は、概念を表すのにその言葉で充分であるときには便利だが、いざ「新しく発見された天体が惑星か否か」という話をするのがナンセンスになるほど、今となっては定義の曖昧な言葉だったりするわけなんだが。


まぁ、一種の「称号」のようなものと考えればよいだろう。「恐竜」という言葉が生物学上の正しい分類用語ではないとの似たようなものだ。
…てなことを、Sedna のときも兄者と話していたことを思い出すが(笑)