過去を語り、未来を見てみる。

昨夜IRCで話していて思ったのだが、なんだかんだいって生きているうちに、それなりに過去を語れるようになるものだなぁと思った。


自分自身の若さゆえの過ちというものは認めがたいものだというのは某赤い彗星の人の言を持ち出すまでもないが、それを認めねば反省も改善もない。過去を美化して懐かしんだところで戻れるわけでもなく、仮に戻ることが出来たとしても美化する過程で削ぎ落とされた汚点と再び直面することになる。確定してしまった過去に固執してもそれはもはや変え様がない。

自らの力によって改善する余地を残された時間が時間軸上における時刻 t の増加方向にしかない以上は、結局のところ過去の事例に学びつつ自力で未来に干渉するしかない。過去の事例に学ぶことができるのは、過去を直視できる人間だけだ。


過去にあった様々なターニングポイントで、なぜそうなってしまったのか。自分の何が愚かだったのか。そうした過去を蓄積した結果として存在している、現在自分が立っている場所から行きつける限り最善の結果は何なのか。


全てではないにせよ、その多くについては大体理解できるようになったように思う。あとはヴィジョンをもって行動することが求められているわけだが。