続・囚人のジレンマ

昨夜遅くから今朝方にかけて「囚人のジレンマ」を元ネタにした遊びを考えてみたわけだが、元ネタの「囚人のジレンマ」問題は対人関係から国家関係にいたるまで応用できる考え方だ。


対人関係や国家関係といった「1対多」の関係は「1対1」の関係の集合であり、その一つ一つにおいて終わりがいつ訪れるかわからないという条件下における「ノイズありの『囚人のジレンマ』問題」と解釈できる。


これは「黙秘」を「協調」、「自白」を「裏切り」とした場合、協調しているのに相手からは裏切られたと解釈されてしまう可能性がある場合(あるいは裏切っているのに相手からは協調していると解釈されてしまう)ケースがある場合。これは意図せずしてそう解釈されてしまう場合や、意図的に誤解させようとする場合も含んでいる。あるいは自分が協調だとおもったことが、相手に対する裏切りになってしまっている場合なども含めていいかな。こうした誤解や思い込みを「ノイズ」と呼んでいるわけだ。

例として挙げるなら、親が子供の将来を案じて叱っている(→親は子供に協調を提示)のに、子供は親に嫌われてると思い込んでしまう(→親が裏切ったと解釈する)ようなケースや、闇金が客に対して言葉巧みに相手に借金させようとする(→闇金は裏切りだが、意図的に協調と解釈させようとしている)のに対し、客がだまされて借りてしまう(→闇金が協調していると解釈)ようなケースになるかな。


ノイズがない場合、基本戦略としては可能な限り相手の「協調」を引き出し、自らも原則として協調を提示し、裏切りがあったら報復するという「しっぺ返し戦略」(協調ではじめ、それ以降は相手が直前に出した手を選択する)が有効とされる。ただしこれはノイズがないわけだから、相互に協調と裏切りの基準が明確であり、常に誤解の余地が無い場合に限られる。


ノイズありの条件では、直前の結果のみを基準に方針を決定する近視眼的な戦略の中では、うまくいかなかったら方針を転換する「パブロフ戦略」がもっとも強く、他の長期的視野を持ったより有効な戦略も、このパブロフ戦略を基礎とするものになる。


この結果、「経験的に概ね最もうまくいく方法」として、社会集団の構成員が基本的に協調路線と看做せる価値基準をある程度共有し、その上で協調路線をとるのが最適という認識、すなわち「社会通念の上で協調する社会」が生まれると考えられる。結果として協調と看做しうる決断が成立し続ける確率を低コストで最大化できる社会が、社会構成員全体の負うリスクの総和をもっとも低くできるわけで、それを実現するためには事前にそれが協調なのか裏切りなのかを判断できるように、ある程度判断基準を共有する必要がある、ということだ。


まぁそれが出来たとしてもノイズが無くなるわけではない。ノイズのレベルを下げるだけである。それでも大抵の場合は、自らの属する社会集団における社会通念の上での協調路線をとることによって、高い確率でリスクを最小化できるわけだな。この場合も基本的にはパブロフ戦略もしくはそれに近いものが用いられるわけで、「うまくいかなければ改善」というサイクルの中で社会集団の通念は少しずつ変化していくと考えられる。


…と、ここまできたところで、一つ思考実験。


社会通念から大きく逸脱した感覚を持ち、その振る舞いが看過できない「裏切り路線」と判断される構成員が社会集団に一人追加されたとして、既存の構成員はこの構成員に対してどのように接すればリスクを最小化し、メリットを最大化できるだろうか?



最もリスクの小さな方法は非常に簡単で「相手にせず、社会的に排除する」という戦略だ。
囚人のジレンマ」が発生する以前の段階で相手にせず関わらないのであるから、当然リスクは0にできる。その構成員と接することによるデメリットがメリットを上回る可能性を考慮すれば、排除される本人を除いた構成員個々人のレベルでも、社会集団全体のレベルにおいても、短期的にも長期的にもこれがおそらく最上の策となる。ただし、相手と接することにより得られるメリットが予想を上回るようなケースにおいても、そのメリットに気づかずに切り捨てるということでもある。



長期的に見てメリットがデメリットを上回る可能性があり、充分な時間があると考えられるならば、「当面の不利益を覚悟して、あくまでも通念上の協調路線をとり、相手が集団における通念を理解し、その上での協調路線に転向するのを待つ」という手も無いでもない。この方針は短期的に見ればリスクが大きいが、相手を翻意させることに成功した以降は、リスクを最小化しメリットを最大化する関係を相互に築くことが可能になる。
ただし、実社会は「ノイズありの『囚人のジレンマ』」なので、こちらが示している路線が協調であることに相手が気づかないというリスクも考えなくてはならない。この戦略を選択する場合は、ある程度接して理解や改善が見られない場合は社会的排除戦略に切り替えることを考えておくほうが良いと思われる。


…まぁ、細かい点を挙げれば無限に戦略はあるだろうが、リスクを最小化しメリットを最大化できるのは、上記二者の組み合わせによる戦略だろうな。多くの人は程度の差こそあれ経験的にそれを実践しているというのは、多分皆さんご存知の通りだ。


簡単な言葉で言うなら「人間が出来てない奴でも、見込みがあるうちは温かい目で見守りつつ厳しく接し、それでも変わらないようなら愛想を尽かせ」ということだわな。


言うまでも無いが、「社会集団の通念の側をその一人に合わせて変更する」という戦略はもっともリスクが大きく、非効率かつ非現実的な戦略であり、その一人がそうしたコストとリスクに見合うメリットを提示し、それで社会構成員の大半を納得させない限り選択されることはありえない。
なぜなら変化のためのコストを構成員全体が負わねばならず、その対価として得られるのがただ一人の構成員との関係でしかないわけで、他の構成員にとってはその選択をする理由が何一つ無いからだ。


社会のせい、家庭のせい、みんなのせい…他人に責任転嫁しがちな人は、そこをよく考えてみるといいかもしれない。