没個性だなぁと、思うこと然り。

何の話かといえば、ゲームの画面ヅラのこと。
四の五の言う前に、ここからの主張の起点となる簡単な思考実験をしてみよう。

日常的にゲームをやらない人に、以下の三つのタイトルの画面写真を見せてみる。

三つの画面写真が、異なるゲームの画面だということが、果たしてわかるだろうか?

上記思考実験で挙げた3タイトルはそれなりにメジャーなタイトルであり、個々のゲーム性は当然異なるものだが、ゲームになじみの無い人が予備知識無しに画面写真だけを同時に見せられた場合、それぞれが違うゲームだということがわからんのではないかと。


ある程度ゲームをやる人間の目から見ても、画面の印象がこれらに似た有象無象のタイトルというのは雑誌で頻繁に目にするわけで、私などはそういうページは「あーはいはい」とばかりに読み飛ばしたりしているわけだ。なんというかそれらのタイトルはいずれもデザインの方向性としては「リアル」を指向しているわけで、同じ方向を向いている以上は同じようなものになるのは当然だわな。


もちろんゲーム性はそれぞれ異なるわけだが、ゲーム性というのは実際にやってみるまでその感覚がわからないものだ。それはあくまでゲームを「手にしてから」伝わる情報であり、ゲームを「手に取ってもらうために訴える」情報じゃない。ここで問題にしているのは、その「手に取ってもらうために訴える」情報だ。
ゲーム情報誌などで目にする最も訴求力の高い情報はといえば画面写真なわけだが、その画面写真の上で他との差別化が図れないのであれば、手に取って遊んでもらう以前の段階で有象無象の中に埋もれてしまう。その意味で「リアル指向デザインの3Dゲーム」の画面ヅラは非常に没個性だな、と思うわけだ。
今の俺には「リアルなグラフィック」という言葉が、絵面の没個性さを誤魔化す空虚な謳い文句に聞こえる。「わかる人にはわかる」のかもしれないが、それは「わかる人にしかわからない」のと同義だ。鈍感な人に対しても「これでもか」と訴える強烈な個性があるかと問われれば、首を横に振るしかない。


そんなこんなで個人的には、"ANUBIS Zone of the Enders"とか「大神」、先日のTGSで画面が出ていた "Trusty Bell -ショパンの夢-" のようなタイトルの画面ヅラは、ぱっと見てすぐわかるほど他との違いが明確で良いんじゃないかと。こういった「画面作りからタイトルの個性を訴える」作りってのは、商業的側面から見ても大事だと思うんだが…


…そうか、だから絵師の個性が明確に出る2Dのゲームに魅力を感じるのか俺は。
プログラム的には3Dのほうが面白いから、3Dで個性的な絵面が出せるのがいいんだけどな。
後半に書いたように、そういうタイトルもあることだし。