【まとめ】グレゴリオ暦制定までの歩み

元旦の日記に、

  • グレゴリオ暦の1月初頭が地球の近日点通過に重なること
  • 当時は惑星軌道が楕円であることは知られていないこと
  • グレゴリオ暦の日付が宗教的理由で決定された日付を基準に日付を制定したこと(コメントによる補足)

を書いたわけだが、一応グレゴリオ暦制定までの歩みについて調べてみた。

出来事 解説
B.C.45 ユリウス暦施行 ローマのユリウス・カエサル、「ユリウス暦」を導入、施行
A.D.325 第一ニカイア公会議 3月21日を春分として、その直後の満月を過ぎた日曜日を祭日「復活祭」の日付として決定。この日付は、当時の暦の上で観測上の春分に合わせた日付と思われる。
A.D.525 「西暦」の提唱 ディオニュシウス・エクシグウス、キリスト誕生を1年とする「キリスト教暦」(西暦)を提唱
A.D.12?? ベーコンの指摘 神学者ロジャー・ベーコン、実際の春分と復活祭の基準となる3月21日とのずれを指摘
A.D.1582 グレゴリオ暦制定 ローマ教皇グレゴリウス13世、グレゴリオ暦を制定
A.D.1609 ケプラーの法則 ヨハネス・ケプラー、「ケプラーの法則」第一/第二法則を発表

…というわけで、現在われわれが用いている暦の日付は、キリスト教の宗教的理由によって決められたものなわけだ。A.D.325の第一ニカイア公会議で決められた「3月21日」という日付が宗教的(そして政治的)理由によって動かせず、日付に暦を合わせてしまうというかなり強引な手法で切り抜けたわけだが、まぁ結果としてユリウス暦では400年に1日だった暦のずれが、3000年に1日の精度まで上がったわけだ。


んで、おまけとして偶然一月初頭が軌道の近日点通過に重なった、と。