入り口も奥深さも共に必要だなぁと。

SF/ファンタジー小説家の山本弘先生が、1/23付けで興味深い記事を上げていた。

山本弘のSF秘密基地BLOG:ライトノベルを応援します

有川浩先生の「シアター!」を引用し、「入口」の大切さに言及されている(当該作は未読なので、今日の帰りに買っていこう)。


ジャンルの中で複雑化した難解なものを賞賛する風潮はどのジャンルにもあり、入口となるカジュアルな商品を蔑ろにするジャンルは商業的に廃れるというのは全くもってその通りで、うちの業界(ゲーム屋)も例外では無かったからよくわかる。


ただ、山本先生は次のようにも述べている。

確かに難解で読みにくい小説も必要だろう。僕もそれを否定する気は毛頭ない。
だが、いきなりそんなものを読みたがる読者なんていないはずだ。分かりやすくて面白い娯楽作品から入って、小説の魅力に目覚め、その読者の一部がだんだん重厚なものや難解なものに移ってゆくものだろう。

…うちの業界が失敗してると思ったのはここ。入口となる分かりやすい作品から入って、ステップアップする先の「重厚/難解」なラインナップが希少になってしまった*1挙げ句に「作品ジャンル全体のレベル引き下げ」が起こっているようにも思える。
つまり山本先生が否定しなかった「重厚/難解なもの」を半ば否定してしまった、あるいは誰も否定はしていないのかも知れないが、皆が「自分の仕事じゃない」と考えた挙げ句「樽の中のワイン」的にその部分を海外作品に持って行かれてしまった、てなところはありそうに思う。


…いや、なんていうか、俺としちゃ一般人がドン引きしてトラウマになるぐらいマニアックなゲームが作りたいしプレイしたいんだが。性/暴力/犯罪描写とはまた違う方向性で。たとえば高等数学ネタとかw

*1:構成容量の大小はゲームの難解さと関係ない。Wizardryは昨今のFFシリーズより目に見えて小さなサイズで作れるが、どちらが「難解」であるかを考えるとわかるのではないかと。