事態は継続審議へ。

東京都条例の件は、全会一致で継続審議という話。
ただ、改正案が廃案になったわけでも恣意的な判断基準が是正されたわけでもないので、未だ予断を許さない状況。規制派の自公民は一時体制を整え直す模様。


twitterで@ATborderlessさんが「賛成派の論拠になりそうな」情報を紹介していたので、以下に貼っておく。

メディアの影響

ふむ…一応検証の必要があるな。


で、今回の条例とは別に、規制派が一体何を恐れて規制を支持しているのか、について考えてみる。

  1. 対象となるメディアに子供が触れることによる倫理観形成の阻害
  2. 対象となるメディアの描写を大人が現実に模倣することによる、子供への被害

…の2つなんだろうな、多分。


中には単に「こちら側」の文化や人間に対する嫌悪感から、攻撃や嫌がらせの意図をもって支持している輩もいるだろうが、そんな奴の言うことを聞いてやる理由はこちらには一切無いので、それは無視。


ただ、上記に挙げた2項目の懸念については、まだ相互に問題を共有し考えていく余地はある。


1.に関しては以前の記事でも書いたように、現時点において既に業界の自主的取り組みによって事実上ゾーニングされており、さほど問題にはならんと考えている。その意味で都小Pの要望書にある「何ら規制されることなく」というのは虚偽であるわけだが。こちらに関しては今回のような条例改正案は受け入れ難い。既に充分なものを何故さらに役人の無な胸三寸で締め付けられねばならんのかと。


では 2.について、我々の側は回答を持っているだろうか? まずこれが成立するかについてだが、先の藤本由香里氏紹介の資料があることで、少なくとも理性的な規制派は「成立する」と考えているのだろうと想像する。我々の側で、カウンターとなる根拠はなんであるかは考える必要がある。


ただ、先の資料の是否は別として、実行に及べば現行法下でも犯罪として取り締まりの対象になるわけだが、誘発される犯罪を「予防したい」のだろうか、と。それは「疑わしきを罰する」のとどう違うのか。


仮に影響があるとしても、実行に移さない限り思うのは自由である。とりあえず乏しい想像力を振り絞り、思いつく限り最大限にネガティブな、背徳的だったり残虐な妄想の例を考えても、私の想像力ではせいぜい、小学生女子のハーレムとか、気に喰わない最低な上司の頭をショットガンでブチ抜いて脳漿を飛び散らせ残った死体をミンチにして上司の飼い犬に喰わせるぐらいまでが限界なのだが、そうしたものもあくまで妄想の中なら自由であるし、それらに嫌悪感を抱くのも自由。感情的な規制派は「オタクきめぇ」とか思っているかもしれないが、そのように思うのも自由であるし、そんな感情を我々が軽蔑するのも自由だ。


ただ嫌悪や軽蔑を抱こうと、「思う」「考える」こと自体は万人が認め合わねばならない。それが「精神の自由」であり、憲法19条で保障されている。


これは「表現物の影響を受けた感情を抱く権利」も含んでいると考えるし、どんな感情、思想を抱こうと、実行に及ばない限りは犯罪とされるべきでもない。そして、そうした影響を与えるメディアを選択的に受け取るのも受け手の自由であるはず。ロリコンには自らの選択によってロリコンであり続ける自由があるのだ。


ただし、実際の行動に及んだ時は取り締まるべきだし、現行法下でそれは可能。子供には世の中にそうしたリスクがあることを示唆する。それ以上を求め、「時には制限も必要」とか言い始めると、精神の自由がいとも簡単に侵害される社会になってしまう。


精神の自由は、何があっても絶対に譲歩してはならない領域だ。


結局、現状が落としどころだと思っているわけだが、一体何が足りないのかを規制派に訊いてみたい。ただし対話が成立する冷静な人。都小Pの要望書そのままみたいな人は多分対話が成立しないし。