相手を知るには、相手の身になってみれば良い。

twitter でボソボソやってるうちに「こうなんじゃないか」と思えるものが出てきたので書いてみる。


まず、我々は表現者サイドに立っているから、ついつい表現を中心に考えてしまう。漫画、アニメといった視覚表現物についても「被害児童がいない」という点に目を奪われ、相手が他にもなにかを懸念しているということに思い至っていない。相手が懸念している点が、我々にとって解決済みの問題であるならば、当たり前すぎて相手がそれを懸念していること自体に気づいていないこともありうる。


そこで、まず規制賛成派は何を考え方の中心に据えているかを考えてみる。
これはおそらく我々もわかっていて「子供の安全」なのだろう。


次に、規制賛成派が「児童ポルノ規制」と抱き合わせでコミック/アニメ規制を叫んでいることから、彼らはこれらを同質のものと考えているのではないかと推測してみる。で、彼らの想像する「児童ポルノ」の一体何を問題視しているのか、という点を分解してみる。


これは一つ上のやたら長い記事の考え方の拡張で、

  1. 児童ポルノ」に子供が触れることによるショックや倫理観の崩壊
  2. 児童ポルノ」に影響された大人の暴走による子供への被害
  3. 子供が「児童ポルノ」の被写体となることによる被害

上記 3.については、実写の児童ポルノを想定しているがゆえに追加したもの。「児童ポルノ」が存在することの向こう側に、規制賛成派は、どの程度明瞭であるかはともかく、この三つの問題を見ている。それは賛成派のうち感情的にわめき散らしている類の人でも同様だろうと推測する。


で、漫画/アニメに関しては、その性質上 3. が問題として存在しない。その結果どうなるかというと、

反対派「被害児童がいないものについて何を言ってるの?」
賛成派「3.の問題がなくても 1. と 2. の問題があるだろう!」

と吹き上がってしまうのではないかと。だから「なぜ被害児童がいないからといって野放しにしておくことが平気なのか」のような言葉が出てくる。


なぜ我々が 1. と 2. の問題について思い至らないかというと、我々にとって 1. の問題は解決済みであり、2. は問題にならないからだ。


1. について、我々は漫画の販売が業界の努力で、その内容によって充分ゾーニングされていることを知っているし、遅くまで起きて深夜アニメを見ているため、それらのアニメが「子供の観ていない時間帯に放映されている」ことをごく自然かつ感覚的に理解している。アニメDVD/BDの価格は一巻あたりの収録話数に比して割高であり、子供の小遣いで購入することはある程度困難であることを普段の懐事情から理解している。


2. について、我々は自身が理性をもち、現実と明確な区別をつけてそれらの作品を楽しんでいることを知っている。作中で行われるのが犯罪行為であるならば、実行に移した時点で自身が犯罪者となり裁かれることも理解している。



これが規制賛成派にしてみれば、1.については業界が自主規制努力を続けている実態そのものを知らないのかもしれない(事実、都小Pの要望書には「何ら規制されることなく」と書かれており、これが彼らの認識であるわけだ)。

また、2.については、我々のような人間をあくまでメディアから受ける印象だけから想像しており、我々も理性を持った人間であるということが想像できていないのかもしれない(だとすれば実に失礼千万な話だが)。だから我々を「認知障害者」呼ばわりすることが平気だったりする輩が都民の代表面できてしまうのではないかと考えてみた。


都小Pの要望書をよく読むと、これら二つの懸念が文面にはっきり現われている
なのでこの推測はそれほど外れてはいないのではないかと思ったので書いてみた次第だ。対話が成立するならば、この二点についてまず理解を求めるべきだろう。


しかし、それでも彼らに対し毅然として明言しておかねばならないことがある。

「疑わしきを罰する考え方は、法治主義国家として受け入れてはならない」

「犯罪の予防」を目的として要因を狩るというのは、「疑わしきを罰する」考え方そのものだ。


これら全てに理解が得られて、はじめて漫画やアニメはこれ以上規制する必要がないものであることをわかってもらえる糸口が開けるのではないかと。