無神論者は「アニソンの神様」に会えるか?

数日前、twitterで紹介していた方がいたので、amazon.co.jpで買って読んでみた。

アニソンの神様 (このライトノベルがすごい! 文庫)

アニソンの神様 (このライトノベルがすごい! 文庫)

自分も「秋葉原酔狂楽団(仮)」という形でアニソンバンドをやっているわけだが、そんな奴が読んで目頭が熱くなる作品。


作中における「アニソン」の定義は、次のように語られている。

「それはアニソンの定義が、『アニメで使用された楽曲』だからです」

「人によっては違う意見もあると思いますが、基本的にはそれで間違ってないはずです。アニメで使用された楽曲という以外に、アニソンのジャンルに含まれる曲には共通点がないのです」

アニソンというジャンルの定義についてコンセンサスを求めた場合、最終的な落としどころはここになる。人により異なる定義を持ち出した場合でも、アニメに使われていない曲をアニソンと呼ぶ事は無く、あるとしても「アニメ」を「アニメおよび周辺文化」と拡大解釈する場合ぐらいだからだ。アニソンという言葉は音楽のジャンルを示す言葉として用いられる文脈が決して少なくはないのに、その音楽性を縛る事は全くない。

アニソンはあらゆる音楽性を内包し、そして受け入れる。この世に存在する全ての音楽性は「アニソンの中にも存在する」か、「今後アニソンに取り入れられる可能性がある」かのどちらかしかない。


作中では新旧取り混ぜ、実在するアニソンの曲名が挙げられている。自分のような人間には、音源が無くともそのタイトルがあるだけで脳内再生が可能であるわけなのだけれども、登場楽曲の選曲、その楽曲の解釈などは、想定読者層が「概ね知っていると考えて良い」あたりを過不足なく押さえており、現在の音楽シーンにおけるアニソンの立ち位置、周辺文化としての側面もあるVOCALOID楽曲への言及などは、概ね自分の実感と一致する。

登場人物たちは高校生なので、一部楽曲については世代が異なることについて度々自分たちでツッコミを入れている。ヒロインが「時間差で作品に触れた外国人の留学生」という設定でこのあたりをクリア出来ているのは実に見事なもので、確かに現代日本の現役高校生であれば生まれる前の作品であっても、「遅れて触れた事情がある」者が同世代に一人いればそこから接点を作ることが出来そうではある。ヒロインのエヴァはドイツ人留学生であるが、この出身国の設定も実に秀逸。

また、バンドメンバーとなる者たちを中心とする登場人物は、代表的なアニソンとの接し方を象徴している。アニソンを愛してやまないヒロインから、単にあまり知らず漠然と敬遠するクラスメイト、隠れアニソンファンの者、アニソンだろうがなんだろうが音楽ならなんでもいい者、食わず嫌いから転じ理想とする音楽の姿をアニソンに求める者、個人活動であるボカロPからリアルでの仲間を求めた者、児戯と見なし全否定する者…など、アニソンを接点として出会うであろう人たちが示すおおよその反応が登場するあたり、小説作品のキャラ付けとして非常にわかりやすい上に、この文化と共に生きている者には実感を伴ったものでもある。


自分が酔狂を始めたときは、だいたい皆方向性は違えどもアニソンに造詣のある者ばかりだったから、好みの違いはあっても根本的に異なるスタンスのメンバーは少ないわけだけども、まあそうなった理由は「時節の導き」なのだろうな。活動開始が2009年12月初頭というあたりからそのあたりの事情は概ね察しがつくだろうけどもw

日本には八百万の神様がいると言われている。
森羅万象あらゆるものに、神様が宿っている。
だからきっと、一人くらいはいるはずだ。

――アニソンの神様だっているはずだ。

序章を締めくくる文。
無神論者の自分が言うのもなんだが、大変に面白い。
もしそんな神が居るのであれば、いつか自分も出会う事があるのだろうか。


本作を読むなら、登場楽曲の音源と共に楽しむのが最高だ。
本文中に挙げられているだけでなく、各章のサブタイトルもアニソンの曲名になっている。自分と同世代の者にはおそらく不要な助言だろうけども、その中でもし知らない曲があったら、ぜひその音源と、楽曲が使用された作品に触れてみてほしい。