実際にこうした活動を目の当たりにして思ったこと。

それにしても、先日の記事から始まって twitter でも延々と語っていたのだが、上の記事の彼らのような活動形態が音楽のスタンダードの出発点になっていくだろうなぁと。音楽そのものは自由にしてファン層を増やし、最終的には名前と楽曲をブランド化してグッズなどの付加価値で収益を得ることが出来る可能性も出てくるだろう。それはあくまで一例としても、中央集権的な既存メディアに依存せずに活動することが出来る時代。こうした動きについて平沢進師匠が語った記事を、友人のすがふゆき氏がtwitterで紹介してくれた。

ASCII.jp:平沢進が語る、音楽の新しいスタンダード (1/5)|四本淑三の「ミュージック・ギークス!」

想像に難くないのは、プロとアマチュアの間に明確な境界線は無くなり、アマチュアイズムとプロフェッショナリズムの混合比がグラデーションを描く中に、それぞれのミュージシャンの立ち位置がプロットされていく世界になるだろうと。
「どこかの権威ある誰かに選ばれて」ある日突然プロになるのではなく、送り手を支持する聴き手たちが送り手をプロフェッショナルに近づけていく。
中間搾取層が無くなるので、ミュージシャンたちは自分が食っていけるだけのファンさえ獲得出来ればいい。「万人受け」などという実体の無い空虚なものへの意識は薄れ、それぞれの音楽がより先鋭化され、エキサイティングなものになっていく。


私は高校生の時分、「芸術とは他者が共感した自己満足のことだ」と思っていた。それは今でも変わらない。若干の訂正を加えるならば、それは共感でなくて強烈な反発や嫌悪などでもかまわない、情動の全てだと思うようになったぐらい。つまり、芸術というものは大前提として自己満足でなければならない。もっと言えば、芸術なんて大して特別なものではなくて、単に自己満足で始まって、それが他人に情動を引き起こす現象の名前でしかない。だからこそ素晴らしい。


本当に聴いて共感/反感/嫌悪して欲しい人達とは程遠い「権威ある誰か」に自分たちを選ばせるために不本意な活動を強いられた時代がある。それは自己満足とは程遠い。そんな腐った世界は、テクノロジーの力でようやく解放されつつある。慌てているのは、これまで「権威を持っている」とされていた、その実どうしようもなく下らない人達だ。


確かに旧態依然とした音楽業界は、一度再建不能なまでにぶっ壊れたほうが良いかもしれない。



…次に私が考えるのは、「これは音楽業界に限った話だろうか」というところだ。
勿論どの業界のことを考えているのかは言うまでも無い。