一応オンラインゲーム屋の端くれとして、こういうことは考えとかにゃならんわけだが…
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20060211/aogc_06.htm
前半のダイナスティアの例は非常に面白い話だと思う。
「他者に対するより大きな生殺与奪の力を得ることを競う」社会ではなく「生産的であり寛大さを示す」ことがコミュニティ内の「優位性」の基準となる社会では、皆生産的で寛大になろうとする。そのようなあり方のコミュニティは、より生産的で平和なものになる。そうすることがコミュニティ内での「生存確率」を最大化するからだ。
この記事を読んで、俺は二つのものを思い出した。興味のある方は一読されたい。
- 作者: ジェイムズ・P.ホーガン,James P. Hogan,小隅黎
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2005/02/01
- メディア: 文庫
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最初に挙げた記事は、実際に運用されたオンラインゲームのもの。二番目はLinuxに始まる「Linux型開発モデル」を例にとり検証した、Eric S.Raymondによる「ノウアスフィアの開墾」。三番目はJ.P.ホーガンによって1985年に書かれたSF小説で、当時はまだ思考実験の域を出るものではなかった。
三つの例いずれをとっても共通しているのは、「生産的活動を行うために必要な出発点のコスト」が、そのコミュニティ内で普通に生活している限りは誰でもそれを持つことが出来る程度のものであり、あとは自分のやる気と技能だけがものを言うレベルであるという点。
最初の一歩を踏み出すコスト*1がそのコミュニティ内で高ければ高いほど、生産的になれる人間は限られてくる、ということだわな。逆に言えば、最初の一歩を踏み出すコストが低いコミュニティは、全体がより生産的になれる最も重要な要素の一つを持っているということになる。
もちろん、それだけでは充分ではないけれど。
*1:お金だけの話ではなく、スタートラインに立つ難易度を形成するすべての要素を指す。