人間生きていると、様々なところで「確率」というものと付き合わなければならない局面に出会う。まぁそこまで深く考えずとも、遊びの中にも確率というものはある。今まで遊んできた遊びの中では、TRPGとかSLGとかがその代表格だわな。特に私の仕事では、確率というものを考えなければならないケースは山ほどある。昨日もちょっと考えてたけどな。
そんなわけで確率ちゅーもんを考えてみる。
ダイスの「1/6」
一般的に目にするところのダイス(サイコロ)は正六面体で、ある特定の面が出る確率は1/6だ。この1/6という確率だが、よく「6回振れば1回は1が出る確率」などというが…
果たして本当にそうだろうか?
「6回ふれば一回は1が出る確率」というのは、「1.0の確率で、6回試行すれば一度でも1が出る」という意味になるが、そんなわけはない。6回が6回とも2〜6を出し続けて一度たりとも1が出ない可能性が依然として存在しているのは、子供でも直感的にわかる。
では、6回ダイスを振って一度でも1の目が出る確率はどうやれば求められるのか?
答えは簡単。一度も1の目が出ないケース以外は必ず一回は出ているわけだから、1.0から「一度も1の目が出ない確率」を引いてやればよいのだ。
計算すると、だいたい 0.6651ぐらいになる。2/3よりちょっと分が悪い賭けだな。
…ん? 納得できない? しょうがない。もう一つの計算方法を出してみようか。
n回目を振る必要があるのは、1回目からn-1回目までの間に一度も1が出ていない場合だ。
つまり一回目で1が出てれば二回目以降を振る必要は無いし、二回目を振る必要があるのは一回目で失敗したとき、三回目を振るのは一回目と二回目を失敗したとき…ということだな。
ある回については、その回を振る必然性が出てくる確率と、ダイスが 1 を出す確率の積になり、その6回分の総和が「6回振って一回でも1が出る確率」となる。「その回を振る必然性」はすなわち「直前まで失敗し続ける確率」だ。
これを式にすると、こうなる。
これで計算すると…やっぱり 0.6651ぐらいだ。つまり、一つ前の式と同じ結果になる。
そんなわけで…
「1/6の確率」を六回試しても、「一回は成功する」とは限らない。
まぁ、「ダイスを六回振って、一回でも1をだせれば100円やるよ。出せなかったら100円もらう」とかの申し出は乗ってもかまわないぐらい分のいい賭けだな。それが100万円とかだったら、一分かからない時間の間に、1/3より高い確率で100万円を失うのが割に合うかどうか、よく考えたほうがいい。
人生博打
基本的に、私はギャンブルをやらない。
なぜならギャンブルは人生だけで充分だからだ。
そう。
人生博打(ぉぃ
…という冗談はさておき、上のダイスの例でも見たとおり、「各試行における確率が同じなら、失敗し続ける確率は試行の回数を重ねるごとに減っていく」というのがわかると思う。
つまり、一回の試行における失敗の確率をとすると、回の試行で失敗だけが続いて一度も成功しない確率は
となるわけだ。
よく「諦めたら人生終りだ」という言葉があるが、「諦める」ということは試行回数で、であるから、上の式に当てはめれば諦めた奴はいつまでたっても上手くいくはずがないというのはすぐわかる。
逆に、多少なりとも勝算をもって()トライしつづける人()が、いつかは最終的に成功する見込みがあることもすぐわかるわけだな。トライの回数が多ければ多いほど、その人が一度でも成功を勝ち取る可能性は高くなる。
もちろんそれは、の値が1.0より小さければ、だが。
勝算が無いことが自明なこと()を反省のないままいくら続けても、Rの値はやっぱり1.0のままだ。
ここで、「反省をもとに改善してトライし続ける」ことを想定して、一回の試行における失敗の確率を、初項1.0、公比が0.9の等比数列、試行回数の上限をとして表現してみると、失敗だけが続く確率は
となる。ちなみに数列が等比数列でなく各試行における失敗確率を並べただけのものであっても、後者の式は機能する。
こうなると、「反省し、改善を続けながらトライし続ける奴が失敗し続ける確率」は、トライの回数が多いほど劇的に少なくなることを数式として記述できる。
つまりは失敗しても諦めず、努力と反省のもとにトライし続けることが、成功を掴み取る近道だってことだな。昔の人は正しかった。
まぁ、をいつまでも続ける反省の無い奴や、最初から諦めて挑戦しないの奴に、成功は絶対に訪れない、と。
ツバメのガキみたいに、口開けて待ってるだけじゃいかんということやね。
人生が博打だとしても、勝ちに行く方法は、ある。
あなたの望む「勝ち」を掴むまで、自分を磨きつつ何度でもトライしていただきたい。
下手な鉄砲は数撃ちゃ当たる?
上二つの例で思い浮かぶ日本の格言─そう。
下手な鉄砲数撃ちゃ当たる
何故当たるのかはここまで見て来た通り、一回あたりの試行における確率が小さな事象であっても、それが0でない限りは反復試行することで一回ぐらいは事象を起こすことができる確率を高めることができる、ということやね。
つまり、この格言は実に数学的な含蓄の深い言葉なのだ。