そう。「やってみる」だけでいいんだよ。

なんかすごく良いエントリが上がってたのでご紹介。

「けいおん!」見たら、恥ずかしがらずに楽器触ってみればいいじゃない。 - たまごまごごはん
そう、下手でいいの!
ぶっちゃけ1分もなくていい。短くてもいい。
音を、あわせるのが、とにかく、楽しいの!

2007年末にミクさん買ってDTMに手を出し、打ち込みだとギターの音がどうにもショボいという理由だけで翌3月、齢34にしてギターに手を出し、未だ公開出来るクォリティの作品は出せていないものの、約一年余りの間弾いてきた俺はこのエントリを全面的に支持する。


楽しすぎて、出勤前、帰宅後、休日と、この一年ギターに手を伸ばさない日はなかった。
真面目に練習しない日であっても、麻婆豆腐を煮込んでいる横でMartin Backpacker(アコギね)を3コードでかき鳴らしつつ、適当にでっち上げた歌詞でネタ的に歌ったりして、それだけで充分幸せになれた。
BR-600のリズムパターンに合わせてパワーコードかきならすだけでも心が躍る。
聴衆など他に誰一人いないが、それが必要だというならば、俺自身一人いれば、それで充分だ。


けいおん!」は、俺にとってそんなタイミングで落ちてきた作品だから、観ていて楽しくないわけがない。自分のことながら、「うまい時に、ちょうどいい方向を向いていたなぁ」とすら思える。


…で、リンク先エントリのコメントに、気になるものがあったわけだ。

うちには無理や、音楽は音が苦、でしかなかったから

悲しいことに、俺にはこれも何となく理解できてしまうんだな。俺も音楽に手を伸ばすことを拒否していた時期がある。それも、相当長く。


小学生のとき、「ヤマハ音楽教室」に通ってエレクトーンを習っていた時期がある。しかし「指導を受ける」というのは「指図される」のと表裏一体であり、俺が一番嫌うことだ。「やらされてる」感覚に耐えられず、当然上達もしなかった。挙げ句、結局辞めてしまった。


また、中学1年のときの音楽担当教諭がとにかく厳しく前時代的ないけ好かないババァで、そいつの面も声も大嫌いだったので、音楽の授業は苦痛でしかなかった。


それ以後、ミク以前。
音楽は自分にとって「聴くもの」になり、楽器が出来る人は「自分には到底耐えられない過酷な指導や訓練を耐え抜いた、その方面のエリート」という認識になってしまっていたわけだ。


…あくまでも想像でものを言ってしまって申し訳ないが、コメントの人も似たような「何か」があったんだろうな。
しかしこうした理由においては、「音楽」や「楽器」は何一つ悪くないよな。音楽との最初の接点となる「人」が悪すぎただけだ。音を楽しむこと、楽器を操る幸福は、いつだって変わらずそこにあった筈なのに。


今は、俺に上達を強いる講師も、いけ好かない音楽担当教諭もいない。
俺は自分自身の需要から楽器を求め、誰の指図も受けず好きな時、好きなように練習し、手の届く範囲で心の赴くままに「音」を「楽」しんでいる。お世辞にも巧くはないが、それでも構わないと思っている。


コメントの人も、それに気づく何かに巡り会える日がくると良いな。俺にとっての「初音ミク」がそれであったように、「けいおん!」がそんな作品になることを祈ってみるのも悪くない。