義憤は先鋭化の兆し

最近一番悲しいと思うのは、周りの人がデマや誤読に起因する言説に踊らされること、先鋭化していくこと、かな。

「こういう話が出てるんだけど、本当だろうか? この理解で間違っていないだろうか?」

みたいに話を聞く姿勢にあるうちはまだいい。

「やっぱりそうだ! こうに違いない! どうだ、反論できるものなら反論してみろ!」

みたいな姿勢になってくると、もう救えないかな、と絶望ともいえる気持ちになる。

「義憤に駆られる」と人の話が聞けなくなるので、まずは「義憤に駆られず冷静に見る」ってのはやってほしい。その上でならば意見や見解の違いも擦り合わせることで、多少なりとも真実かそれに近いところに近づくことはできると思うのだ。

いつでも
「自分の読み方や理解、認識、情報源が間違っている可能性はある」
ってところを踏まえて、入ってくる話を消化するのは大事だ。